二人の歴史

妻と私は同じ小学校、中学校そして同じ高校を通学、卒業しました。

学年は私が小学3年生の時、彼女が小学1年生です。

二人の共通の歌はそれぞれの校歌です。

歌詞を間違いながらでも唄うことが出来る校歌は小学校と高校です。

二人が口ずさむ事が出来るのは歌詞に魅力が湛えられているのでは

ないだろうかと思っています。

富高小学校の歌詞は野口雨情作です。彼は明治時代の高名な詩人です。

歌詞は 朝日たださす富高の緑も深き米の山

    うみやまの幸あつまれる

    われらの郷土さかえあれ

二番もありますが 三番は

    心をみがき体を練り

    勤劤努力進みなば

    「艱難汝を玉にす」と

    古き教えにあるぞかし

日向市の東側に300M高さのなだらかな山、米の山です。

当時は相当に田舎の富高町に野口雨氏氏作の歌詞をいただくことは

どのような事情があったのか、謎ですね。

高校は宮崎県立富島高校です。

校歌作詞者は高森文夫氏です。高森文夫氏は日向市東郷町のうまれです。

生家は大きいお屋敷で東京大学の仏文科で中原中也氏と親交があったことを

聞いています。富島高校校歌は

      大空に光は満ちて

      海原に黒潮ながる

      来たりみよ輝く学園

      われら若き希望に燃えて

      ひたすらに学び鍛ゆる

      富島、富島我らが母校

そして三番の歌詞は

      胸にあり 青春の夢

      遙かなりわれらがゆくて

      来たりみよ栄えある学園

      若きわれらはつらつとして

      母校の名誉誓いてすすむ

      富島、富島、我らが母校

 格調がありますね、富島高校校歌には元気をもらっています。

78歳、77歳の二人の愛唱歌です。

中学校は日向中学校といいますが、私と妻は戦後の団塊世代で

新設の中学校でした。私が中学3年時に彼女は中学1年入学です。

校舎、運動場などは建設途中で、体育館はありません。

二人とも中学校の記憶は乏しいです。

同級生の一人が北朝鮮に帰国することがわかり 

中庭に授業の途中に集合かけられ、見送ったことを

覚えています。金鶴健一君でした。生きているかな?

日々の介護とリハビリ

6月27日に厚地脳神経外科病院の定期診察で鹿児島市にでかけました。

これまで車で高速道路を利用していました。自宅から病院まで距離では

約220㎞、途中でトイレ、休憩を挟んで3時間半は費やします。日帰りでは

やっぱり疲れてしまいます。

診察時間は午前11時30分ですから、自宅を午前7時には出発します。

ほぼ1ヶ月に一回のペースで診察に出かけます。

6月27日(金)は始めてJR九州を利用しました。日向市駅を午前6時10分発

鹿児島中央駅に午前10時30分過ぎに到着。電車利用だったら車利用より快適にと

考えていましたが、大間違いでした。当たり前のことですが、公共交通機関は

主に身体健常者が利用するようになってますね。重度障害者の2級の妻を

車椅子で電車に乗り降りすることは出来ないわけではありませんが、

乗り降りの度に車椅子移動に車掌さんや駅員さんに手伝って頂かないと移動

できません。JRの駅改札口の幅が車椅子と同じぐらいです。

すべて納得出来ることなのですが、世の中のことを少しずつ忘れてしまって

います。反省しています。次回から車で移動します。